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プロスキーヤー
三浦 雄一郎さん
みうら ゆういちろう


 1932年青森市生まれ。56年、北海道大学獣医学部卒。
64年、伊・キロメーターランセに日本人初参加で時速172,084の世界新記録樹立。
以後、
富士山直滑降、アジア大陸最高峰エベレストのサウスコル8000メートル世界最高地点スキー滑降、ヨーロッパ大陸最高峰エルブルースや、南米大陸最高峰アコンカグア、アルゼンチン(6959メートル)登頂およびスキー滑降等々で世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。
03年5月、世界最高峰エベレスト山(8848メートル)を次男の豪太さんとともに登頂。エベレスト登頂最高年齢記録(70歳223日)樹立。
クラーク記念国際高等学校校長、総理府青少年問題審議会委員など、多数の役職を務める。



人生の冒険家であれ
夢と勇気を世界に与え続ける

■まさかあいつじゃないだろな・・

 70歳でエベレストの頂上に立った。7大陸最高峰からの滑降も達成、スキーのスピード最高記録をも樹立。最近では2月に100歳を迎えたプロスキーヤーであり写真家の父敬三氏と親子4代、その友人、1歳から100歳の170名で米国・スノーバードスキー場標高3000m地点から大滑降に成功。

 その家族の絆と逞しさの地盤は「まず家族全員が健康であること」である。父は転勤が多く、三浦さんは小学校で5回、中学で4回の転校をする。病気がちで入院するなど、体はクラスで一番弱かった。 「『三浦雄一郎という同じ名前のやつがエベレストを登ったりしているが、まさかあいつじゃないだろな』と、当時の同級生が言ったくらいに弱かったんです」
 と笑う。スキー、アウトドアーという共通の趣味を持ち、自然の中で家族が夢中になって楽しむ。

「102歳でもう一度モンブランを滑りたいという『ウルトラじっちゃん』がいますので、私たちにはすごい励みになっています」。
 そのウルトラじっちゃんから三浦さんは 「一度も怒られたことはないですね。のんびりゆったりした文武両道タイプで、太平洋戦争の真っ最中でありましたが、山登りやスキーを苦しい中でも続けてくれていました。お袋もゆったり構えていましたね」。  幾多の挫折を乗り越え命をかけた冒険と成功も、ご両親の日常の姿から学んだものが原点にある。


■ひきこもりをした11歳の頃

「あーあ、世界中の学校を消しゴムで消してしまいたいな」
 と、小学校2年の時につぶやいたのは長男の雄太さん。
「がやがやした小屋のようなところに押し込まれ、オルガンやら掛け声に合わせて踊らされ、面白くもないお遊戯やらお絵かきをやらされて憤慨して幼稚園は中退しました」
 と、三浦さん。親子で学校嫌い、どうも他に「本職」があったようである。

 三浦さんは11歳の時中学校を落第して落ち込んで、岩手の山奥でひきこもりをしていたこともある。ショックのあまり落ち込んで鬱々と日々を暮らしていたある日、母が顔を覗き込んで
「『雄ちゃん、なにをクヨクヨしているの、中学1回や2回落ちたってどうってことないでしょう。じいちゃんなんか、1回選挙落ちたら4年我慢しなきゃならないのよ』と言ったんです。へえ、あんな偉い代議士のじいちゃんがと驚きましてね。母は『将来は歌手でも俳優でもなんでもなりたいものになればいいじゃない』と」

 その一言で見方ががらりと変わった。その後、「よく遊び、よく遊べ」と自己流格言を実行、自然の中で熱中して遊ぶ「本職」は現在へと続く。

■学校はチャンスを与えるのが仕事

 三浦さんはクラーク記念国際高校の校長でもある。15年前に国際自由学園という名前でスタートした。
 不登校の子どもが多い現状に、子どもたちが夢を持ってチャレンジでき、「Only One」を目指す「少年よ、大志を抱け」「生徒が主役の学校」だ。
 昨年は高校選手権大会でゴルフは1,2,4位を独占したという。ワールドカップに入賞している生徒、最年少で5000m級のヒマラヤへ登った生徒もいる。
 親のない子どもたちのためにネパールに学校も作った。生徒も日本語や折り紙を教えにボランティアで行く。不登校だった子どもの変貌に親もびっくりしているという。
「学校はチャンスを与えるのが仕事」
 ときっぱり。校長先生は、スキー旅行の夜は生徒に童話や世界の話をする。


■いくつになっても人生の冒険家であれ

「人と比較してこれはだめだからとあきらめてしまう。でも、自分でできること、たとえば、高校の数学でできない問題があれば、中学や小学校まで戻ってやり直す。やってみて、これができたという達成感が一番大事な心の土台を作ってくれる。困難を乗り越えてできた時は、涙を流して感動する、こういう世界を繰り返し体験させることが大切」

 いくつになっても人生の冒険家でいるその秘密は、
「もう歳だからと、枠を作ってしまうとだめになる。夢で人生が変わってくるわけですから、ただ富士山を見てきれいだと思うだけでは登れない。生物学の法則に、『鳥は翼があるから飛ぶんじゃない、飛ぼうという意志があるから飛ぶんだ、飛びたいという夢があるから飛ぶんだ』と言われています。人それぞれ、いろんな可能性という翼があり、夢に向かって、小さな鳥でさえ飛び立って頭をぶつけたりしながらうまく飛べるようになるんです」

 ――幾多の困難をくぐりぬけてきた勇者の言葉は淡々と心に響く。

「人それぞれに夢がありながら、一歩踏み出す勇気がないということがあります。人間というのはおかしなもので、できない理由を考えて引っ込んでしまう。決心してやってみようと思うことが大切。あきらめたんじゃなにも始まらない。私の場合は、60歳過ぎて、足首に一キロずつの錘をつけて1年間、2年目は2キロ、3年目は5キロ。背中には10キロから15キロを背負いトレーニングを繰り返し繰り返しやっているうちに、いつのまにか富士山を、ヒマラヤの5千、6千、7千と登り、気がついたら、世界一の頂上に登っていたんです」

 エベレスト8848m攻略は、わずか30cmの歩幅の積み重ねだ。

 日本が胸を張って世界に誇る「三浦ファミリー」。
 カーター元米大統領は熱烈な三浦さんのファン。「世界に勇気を与える家族」と、三浦家の100歳記念滑降へ熱烈な賛辞を贈った。
 小さい頃の夢はパイロット。「はやぶさ隼」の戦闘機乗りになりたかった少年は、氷河と同じ髪の色と沈着で穏やかに澄んだ瞳で、2008年エベレストへ再挑戦する。

※映像自叙伝「三浦雄一郎 永遠の少年」5月21日にジェネオン エンタテイメントから発売予定)


 




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